文京区でも有数の寺院密集地帯となっている小石川は、東京ドームの目と鼻の先にあり、スポーツや音楽イベントなどの近代的な娯楽と歴史ある寺社巡りを一挙に楽しめてしまう希有なスポットだ。もちろん、ポータルも沢山あるので、Ingressのための遠征にも最適だぞ。
そんな小石川で寺院を巡りながらIngressを楽しみたい人にオススメなのが、6つのミッションで構成される「小石川七福神めぐり」シリーズだ。地元の人々が整備したコースが元となっており、各寺院にはスタンプラリーの「御朱印」も用意されている。
この一連のミッションは、ポータルを巡る順番が指定された「Sequential」タイプのミッションとなっているので、効率的に進めるにはパート1から順番に進める必要がある。スタート地点の茗荷谷駅には後楽園駅から東京メトロ丸ノ内線で行けるが、体力に自信があるなら七福神めぐりコースから離れたポータルを巡りながら徒歩で目指すという手もあるぞ。
「樋口一葉終焉の地」などがある白山通りを北上し、初代三遊亭圓朝ゆかりの「是照院」、日本の近代医学に貢献した美畿女の墓がある「念速寺」、江戸中期に女装して踊りを披露した辰巳屋惣兵衛の墓がある「是照院」、夏目漱石が学生時代に暮らした「新福寺」などを経由しながら「教育の森公園」を目指すといいだろう。
・小石川七福神めぐり 1/6
・小石川七福神めぐり 2/6
・小石川七福神めぐり 3/6
・小石川七福神めぐり 4/6
・小石川七福神めぐり 5/6
・小石川七福神めぐり 6/6
七福神巡りミッションのルート外の寺院
東京ドームから白山通りをしばらく北上したあたりにある「是照院」は、落語の三遊派が用いている高崎扇の紋の由来となっている寺だ。
大火による焼失からの復興を高崎藩が助けた縁で高崎扇が是照院の寺紋となり、それを十五世住職・永泉玄昌禅師の異母弟だった落語中興の祖・初代三遊亭圓朝が家紋として採用した。
・是照院
「念速寺」には、明治初期に日本で初めての特志解剖志願者となって医学の発展に貢献した美畿女(みきじょ)の墓がある。
・念速寺
「梵音山 慈照院」には、江戸中期の遊侠人・辰巳屋惣兵衛の墓がある。惣兵衛は江戸市中の神社で祭りがあるたびに出向いて、女装したりお面を被って面白おかしい踊りを披露して評判となり、墓碑にも女装して踊る姿が彫られている。
ポータルは何故か隣にある光圓寺と混同されて「梵音山 光圓寺」という名前になってしまっている。
多数のポータルを擁する「小石川植物園」の近くにある「新福寺」は、夏目漱石が学生の頃に友人の橋本左五郎と共に間借りしていたことがある寺だ。
小石川の寺社の七福神を巡るミッション
「小石川七福神めぐり 1/6」に含まれる「林泉寺」の「しばられ地蔵」には、願掛けの時に縄を掛けて願いが叶ったらほどくという変わった風習がある。江戸時代に呉服屋の奉公人が反物を積んだ大八車を盗まれてしまい、取り調べに当たった町奉行の大岡越前が「盗みを見過ごした地蔵も同罪である」として地蔵を引っ立てさせたのが由来と言われており、盗難や失せ物に御利益があるとされている。
・しばられ地蔵 Shibarare Jizo (Jizo Bound with Rope)
最初に出会う七福神となる恵比寿が祀られている「浄土宗 深光寺」には、「南総里見八犬伝」などで知られる江戸時代の戯作者・滝沢馬琴とその妻の墓もあり、文京区指定史跡となっている。
小石川七福神には何故か8番目の神様として男弁財天が加えられており、「徳雲寺」に祀られている。弁財天は日本神話由来の蛇神・宇賀神と同一視されることがあり、小石川の弁財天は男女とも胴体がとぐろを巻いた蛇の姿となっている。寺の西にある曲がりくねった急な坂は、徳雲寺の釈迦像が垣間見えたことから「釈迦坂」と呼ばれているぞ。
少々ルートから外れるが、徳雲寺の近く、春日通りの向こう側にはわらび餅などで有名な和菓子屋・一幸庵(いっこうあん)があり、ポータルにもなっている。人気商品は昼には品切れになることも多いので、行くなら午前中がいいだろう。
・一幸庵
七福神の女弁財天は、現在は小石川パークタワーというマンションの敷地内に祀られている。元は宗慶寺の敷地内で、スタンプラリーの御朱印も宗慶寺に置かれているぞ。
浄土宗中興の祖・了誉聖冏上人(りょうよしょうけいしょうにん)がここに開いた庵が移転して、のちの伝通院となった。庵の近くにあった清泉は「極楽水」と呼ばれ、今も跡地が残されている。
七福神の寿老人が祀られている「宗慶寺」には、徳川家康の側室で松平忠輝の母である茶阿の局(ちゃあのつぼね)の墓碑もあり、こちらがポータル名になっている。
小石川七福神めぐり 3/6のスタート地点となる「善仁寺」にも「極楽水」と呼ばれる井戸があり、鎌倉時代に親鸞聖人が訪れたときに杖で地面を突いただけで清水が湧き出したという伝説がある。この井戸からは今も水が湧いており、区の防災井戸に指定されている。
・善仁寺
七福神の布袋尊が祀られている「真珠院」は、徳川家康の生母・於大の方の甥で松本城主の水野隼人正忠清を開基として建てられた。
伝通院の門の近くにある「処静院跡の石柱」は、伝通院出身の僧が塔頭(たっちゅう)として建てた寺で、新撰組の前身である浪士組の結成の地として知られる「処静院」に建っていたもの。刻まれている「不許葷酒入門内(葷酒門内に入ることを許さず)」は、酒や臭いの強い食べ物の持ち込みは禁止という禅寺の注意書きだ。
実際に処静院が有ったのは伝通院の南西で、近くには解説の看板が建てられている。
ポータルが敷地の奥にあるため小石川七福神めぐりのミッションからは省かれているが、処静院跡の隣の立派な門から入れるのが、江戸の三霊山の一つ・伝通院だ。徳川家康の生母・於大の方を埋葬するために建てられ、徳川家ゆかりの人物が多数埋葬されている。
文豪・永井荷風は、随筆「伝通院」で「パリにノートルダムがあるように、小石川にも伝通院がある」と評している。
「小石川七福神めぐり 4/6」のスタート地点となる「福聚院大黒天」は、鎌倉時代にインドから伝来したという由緒ある大黒尊像だ。
福聚院には、咳止めの御利益があるという「とうがらし地蔵」も祀られている。明治中期、喘息を患って医者に止められているにも関わらず好物の唐辛子を食べ続けて亡くなった老婆を哀れんだ人々が、地蔵尊を造って唐辛子を備えるようになったのが由来と伝えられている。
伝通院の東にある「澤蔵司稲荷」は、澤蔵司(たくぞうす)という若い僧に化けた狐が伝通院に弟子入りして僅か3年で宗義を極めたという言い伝えがある
澤蔵司は蕎麦好きだったが、行きつけの蕎麦屋に澤蔵司が来た日は必ず売り上げ銭に木の葉が混じっていたと言われている。その店は「稲荷蕎麦 萬盛」として今も春日通り伝通院前交差点に店を構えているぞ。
・澤蔵司稲荷
小石川は大福餅の発祥の地でもある。江戸時代中期に小石川箪笥町に住んでいた未亡人の女性・おたよが、それまで「鶉餅(うずらもち)」と呼ばれていたものを小型化し、餡に砂糖を加えるなどの改良を施して「大腹餅」として売り出したのが人気となり、後に大福餅と呼ばれるようになったとのことだ。
「小石川七福神めぐり 4/6」の終点である「Lawson ローソン 小石川一丁目」へ向かう途中にある「御菓子司 千代田」では、「おたよさんの大福」として当時の味を再現した大福餅を販売しているぞ。
毘沙門天が祀られている「源覚寺」には、「こんにゃくえんま」として知られる閻魔像がある。この像には、毎日祈願に訪れていた老婆の眼病を肩代わりして右目が黄色く濁ったという言い伝えがあり、老婆が感謝のしるしとして自身の好物のコンニャクを食べずに供え続けたとされることが名前の由来となっている。
また、境内には歯痛緩和の御利益があるという「塩地蔵」もある。
小石川七福神めぐりの終着点となる福禄寿は、なんと東京ドームの敷地内にある。かつては小石川後楽園に祀られていたが、正月に後楽園が閉園されてしまうことから、年中無休の東京ドームシティに移されたという。スタンプラリーの御朱印は、総合案内所に置かれているぞ。